2006/01/10

 
名古屋「四間道」探訪
      ビルの谷間に生きている昔町
名古屋城西の堀川端に残る土蔵群、町屋は尾張藩の頃を偲ばせる風景。
長い時を経てきた歴史の余韻が残る。

名古屋城下町は、信長の城下清須からいわゆる「清須越し」で名古屋城築城と共に引っ越してきました。
築城の資材運搬のため掘った堀川沿いに位置しています。

「四間道」の名前の由来は、元禄13年(1700)の大火の後、防火や町人地の区画を目的に道幅を四間(約7m)に拡げ、石積みの上に土蔵を連続たのがその由来とされています。

町の片隅には古くからある浅間社があり、今も近所の人々がお参りに訪れる。

良く見ると、なんと鳥居の右端は家の中に入り込んでいる。

現代には見かけない形の浅間社の灯籠。

 
保存されている町屋

 ビルに挟まれて保存される土蔵群。
   
 四間道のみに今も残る屋根神さま。

津島神社・秋葉神社・熱田神宮を祭神とする。

屋根の上に小さな社を祀る形態は昔の名古屋独特のもの。

 こちらは堀川に懸かる五条橋の袂に祀られている屋根神さまで、かつては屋根にあったものが何かの理由でここに移動したと思われる。

 
五条橋は昭和13年のものですが、擬宝珠は慶長7年当時のものを復元

 五条橋から名古屋城方向を見れば今は都会の風景。


 
黒板塀の昔の町屋や倉庫。

 ここにも別な屋根神さまが。


 
inserted by FC2 system